「飲んだ・食った・叫んだ」、大菩薩から小金沢連峰へ

                     05年12月31日―06年1月1日
                                団塊オジサン

牛奥雁が腹摺山から望む富士山=1日午前

 大菩薩嶺(2056m)で連想することは「大菩薩峠は江戸を西に距(さ)る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く険しきところ、上下八里にまたがる難所……」で始まる中里介山の未完の長編小説「大菩薩峠」であり、さらに1969年、中腹の山荘に共産主義者同盟赤軍派(当時)が武闘・軍事訓練のため大量集結、警察に踏み込まれ53人が凶器準備集合罪で逮捕された「大菩薩・福ちゃん荘事件」(いわゆる「全共闘世代」の所業)である。甲州裏街道という交易路としての使命は明治期に終え、今は東京から日帰り圏の人気ハイキングコースで「深田百名山」にも名を連ね、春から秋にかけては老若男女で賑わう。その稜線上の山小屋「介山荘」の年末年始は甲州ワイン飲み放題、ビンゴゲーム大会、山の歌の大合唱と様々なイベントが有名で、どういうものか一度見てやろうと「大菩薩嶺越年山行」を試みた。大晦日の宿泊を電話予約すると、「介山荘の正月は一風変わっていますが、ご存じですか」と予防線を張られた。「承知しています。それが目的です」と答えると「当日は一部雪道になりますが気をつけていらしてください」との返事。

 初日の大晦日は山梨交通の100円バスを裂石で下車し丸川峠経由で山頂を目指す。10人ばかりの乗客のうち丸川峠コースは私と単独男性の2人だけ、ほとんどが上日川峠経由のようだ。今回の山行目的は介山荘でのワイン飲み放題の年越しとあって、途中の丸川峠、山頂などはそそくさと通過、ただ眺望に恵まれたこともあり稜線上の雷岩では富士山と南アルプスの大展望を楽しみながら昼食にする。

大菩薩峠で=31日午後

小屋到着は15時。三々五々と訪れる登山客はいずれも常連の様子。最終的には30人の宿泊者。夕食は年越し蕎麦におせち料理をいただき19時から「さようなら05年」の宴が始まる。各テーブルに介山荘オリジナルの甲州ワイン、甲斐駒ケ岳の伏流水で造った地酒「七賢」の1升瓶と焼酎4リットルボトルがドンと置かれ、「飲み残しは御法度、22時の消灯時間前の就寝も厳禁」という介山荘3代目オーナーの口上の後、全員で乾杯。介山荘での年越しを毎年楽しみにしている初老のご夫婦もいれば、「俺たちが今宵の仕切り役だ」と言わんばかりのオヤジ・グループ、山上では絶滅危惧種とも目されるヤングギャル、そして私のような単独行オジサンも…。互いにグループ・単独、常連や一見さんの分け隔てなく盃、いやマグカップを酌み交わし山や今年一年の話題を語り合う。

 飲むほどに酔うほどに興が乗ったところで豪華景品が当たるビンゴゲーム大会。乱数表を持つ手に力がこもり、読み上げられる数字に思わず身を乗り出す。「リーチ」「ビンゴ」の嬌声が渦巻くなか、他人の乱数表が気になるオニイサン、誇らしげに景品を高々と掲げる男性、お目当ての景品を取り逃し悲嘆にくれる女性、ゲームのルールが分からず戸惑うオジサン、山上の余興とはいえ悲喜交々(こもごも)の情景。幸運にも私はテーブルクロスをゲット、家族への土産ができたとほくそ笑む。でも最大の幸せ者は今年3月にお嫁さんをゲットしたばかりの3代目オーナーか。今春には待望のベビーを授かるといい、照れながらも奥さんを紹介してくれた。非婚・少子化の時代、若い2人が手を携えて山小屋を切り盛りする姿を思うと拍手を送りたくなる。3代目オーナーはなかなかの好青年で、場の盛り上げ方も天下一品。「介山荘は人と人との出会いの場」「山上はアナログの世界」が持論とか。

 ゲームが終わると今度は各テーブル対抗で歌の大合唱。山の歌が多いと思いきや、「いい日旅立ち」「今日の日はさようなら」「若者たち」など70年前後にはやったフォーク調の曲が多かった。若い人たちが意外にも歌詞をそらんじている。こういう場で「名月赤城山」なぞ歌うとシラーッとした雰囲気になるに違いない。甲源一刀流の使い手で非情な机龍之介は「いまどきの大菩薩峠」をどう思うだろうか。下界ではNHKの紅白歌合戦がたけなわの時刻だが、ここは2000mの山の上、22時にお開きとなり、気がつくと新参者の私が「大菩薩 万歳」「介山荘 万歳」の音頭をとっていた。

「さようなら05年」のパーティー=大晦日の介山荘

 06年幕開けの朝は生憎、東の空は雲に覆われ御来光は拝めず。それでも南アルプスは甲斐駒から聖岳まで、富士山も日がな1日見渡せた。二日酔い気味の胃に朝食を流し込み8時20分に小屋を出発、小金沢連嶺縦走を目指す。同一方面へ行く登山者は皆無、2週間前に降った雪も残っている。アイゼンを装着するほどではないが、笹薮が多いコースとあって雪で倒された笹で登山道が隠れているところも少なくなかった。小金沢山、牛奥雁が腹摺山、黒岳を経て湯の沢峠の避難小屋で昼食をとり、最後に蒼氷の張った焼山沢沿いの登山道を下り、天目山温泉に到着。例によってヒッチハイクでJR甲斐大和駅まで送ってもらい、大菩薩嶺越年山行を終えた。

 首都圏からなら日帰りが可能で歴史、展望、植生に恵まれた大菩薩嶺。今回が3度目の訪問だが季節、コース・歩行距離で趣はそれぞれ違う。私なりに独断と偏見で各コースを格付けしてみると……。

小金沢山頂上の霧氷=1日午前

<松>裂石の登山口から丸川峠を経由し大菩薩峠で1泊。2日目に丸石峠を経て牛の寝通りから奥多摩・小菅村へ。あるいは丸石峠から南に向かい小金沢連嶺、湯の沢峠へ下りるコース。いずれも下山口に立ち寄り湯がある。

<竹>裂石から上日川峠−大菩薩峠―山頂−丸川峠−裂石の周回コース(唐松尾根経由も選択肢、日帰りも可能)。

<梅>上日川峠まで車で行き大菩薩峠あるいは唐松尾根経由で山頂をピストン。

<コースタイム>
12月31日(快晴・無風)=JR塩山(バス)−裂石(大菩薩登山口)1010−丸川峠分岐1028−1205丸川峠1218−1343大菩薩嶺山頂1350−1356雷岩(昼食)1421−賽の河原1445−1500大菩薩峠・介山荘(泊)

1月1日(曇りのち晴れ・無風)=介山荘0820−石丸峠0845−狼平0913−1008小金沢山1020−1058牛奥雁が腹摺山1115−1145川胡桃沢の頭1200−1229黒岳1240−1325湯の沢峠避難小屋(昼食)1405−湯の沢峠登山口1445−天目山温泉1545(車)−1600JR甲斐大和