苗場山感動山行

2002年8月24〜25日     A・Yさん

  それは一瞬のことだった。淡い黄色とも、薄絹を透した金色ともつかない朝の太陽が、真円を描いてガスの向こうに現れた。ガスは視界の右上後方から左下の向こうの奥へ、ゆっくりと、あるいは、駆け足で、急激に濃くなったり薄くなったりしながら音も無く流れ落ちている。右背後から山頂に向かって斜面を駈け昇って来たガスの流れが、広大な山頂の広がりを越えて、左奥の下りのスロープへ吸い込まれるように落ち込んでいるのだ。ガスの流れの濃淡にともなって消えかかったり、光沢を増したりしている太陽は、さながら巨大な生き物が中空で躍動しているかのようだ。乗り出すようにして覗き込むと、動いているのはガスではなく、まるで太陽がガスをかき分けかき分けグイグイと突き進んでいるかのようだ。

 辺りは静寂が支配しているが、眼前の壮大な動きにともなって私の耳奥ではゴーゴーと無音の大音響が響き渡っている。空一面を覆うガスの流れの下には、クリスマスツリーにしたくなるような見事な枝振りの樹のつながりが、大地に固定された灰色のシルエットになって、左の高みから中央の太陽の下、さらにその右の先までなだらかに高度を下げながら伸びて行き、ガスの中の地平線におおらかに消えている。その手前には灰色の湿原が広々と左右に広がり、緑の色相を少しずつ濃くしながら足元までなだらかに駈け上って来る。それら全体に視野を広げると、ガスが流れ飛ぶ天空の中で、太陽はしっかりとその真円を中空に座して動かない。荘厳とか、高貴とか、神秘とか、静寂とか、神々しい美しさとかが、複雑にミックスして押し寄せて来る。感覚を司る神経細胞がブルブルと震えながらフル回転している。標高二、〇〇〇メートルを超える苗場山山頂の朝のことだった。この朝の散歩に私を誘い出してくれたO川さんに感謝。こんなすごい感動を与えてくれたO川さんはやはり天女に違いない。

 山行前日はどんよりと曇り、山行日の天気予報はほぼ確実に雨模様。どうせ中止になるに違いないと思いつつも、私は車を集合場所の越後湯沢に向けて出発。途中よほど引き返して帰ろうかと思ったが、湯沢に向かわなければならない特別な理由があったのだ。CLの小川さんは湯沢駅と登山口の間のタクシー料金を節約すべく、大型タクシーを予約するつもりでいたらしい。私が勝手に幾人かの方々をお乗せすべく提案したものだから、普通のタクシー一台で済むことになり、O川さんは大型タクシーの予約を止め、トータルでタクシー代を節約できると喜んでいたのだ。万が一天気予報が急変して決行ということにでもなれば、私の車が湯沢駅に来ていないというのは、とてもまずいことになってしまうではないか。決行するかどうかの決定はその夜されることになっていた。高崎でちょっとした用を終えたお昼過ぎ、早目ではあるが中止の確認をしようとO川さんに電話したのだが通じなかった。湯沢くんだりまで行ってから中止の確認をするのはナンセンスだと思い、SLのK原さんに電話したところ、「O川さんは雨が降っても決行すると言ってましたよオ」と、当然の如くのトーン。不意打ちをくらった私は狼狽しながら、「それでは明日朝、越後湯沢駅でお会いしましょう」と、上擦った声ながらなんとか取り繕って電話を終えた。「ウーーーン、雨の中の二、〇〇〇メートルか!」と、唸りつつあの熊倉山の雨地獄の悪夢がわっとよみがえって来るのを禁じ得なかった。ふと空を見ると、どんよりと雲が垂れ込め、今にも降り出しそうである。

 車を走らせながら私は山好きの人達の気迫に今更ながら圧倒されていた。あの天女のように優しい表情の下には、山への凛とした意気込みがあったのだ。さして山好きとは云えない私は、その敵中強行突破のような大胆な自殺行為に、「恐ろしや」とつぶやきつつ、やがてポツリポツリと落ちて来た雨粒を拭うべく、無意識にワイパーのスイッチを入れてからふと気がついて、大きな声で「オ・ソ・ロ・シ・ヤーーー!」と叫んでいたのだ。

 翌日からの山行を真剣に考えれば考えるほど、雨の中の行軍が目に浮かんで来た。ふとザックカバーを忘れて来たことに気がつくとともに、その他幾つかの忘れ物にも気がついた。どうせ中止という甘い気持ちが忘れ物を増やしたのだろう。それともアルチューハイマーがさらに進行したせいなのか?湯沢駅の近くで運良くスポーツ用品店を見つけてザックカバーを購入。これで雨中強行突破の準備が万端ととのったはずだ。身が引きしまる思いである。店の熟年夫婦が話しかけてきて、昭和二〇年代の苗場山登山の話をし始めた。興味尽きない話だが、私は目の前に立ち込める雲海とガス、合羽に叩き付ける雨粒の音、足元のどろんこなどを想像しながら、いつ果てるとも知れない素晴らしい山の話をうつろに聞いていた。

 熊倉山の雨の中、あの下りは生き地獄だった。苗場山は熊倉山よりもっと標高があるのだ。一度地獄を経験した私は、さらにもっと厳しい地獄に落ちなければならないという運命を前にして、神経質に大きく見開いた左右の眼はバラバラにあらぬ方向を向き、開きっぱなしになった瞳孔の焦点はそれぞれ定まらず、だらしなく開いたくちびるの端から垂れたよだれも垂れるまま、壁に向かってワナワナと震えながら一晩を過ごしたのだ。しかし、結果は始めからお分かりの通り、山行二日間一滴の雨も降らなかったのである。雨のことしか考えていなかった私には、それは奇跡であった。摩訶不思議な超自然現象と思われた。厳しい生き地獄を免れ得たことは、じんわりと体中をしびれさせるアブサンのように心が軽くなり、天国に昇ったような感動をもたらした。誰かが天鈿女命(アメノウズメノミコト)よろしく天の磐戸の前で誘惑の踊りを舞い踊り、洞窟の中で眠りこけていた天照大神(アマテラスオオミカミ)を誘い出し、雨降り雲のミコトを追いやらせたに違いない。この摩訶不思議な超自然現象に私は恐れおののくばかりだ。恐れ多くもO川さんは天鈿女命の化身ではなかろうか。

 さて、申し上げたい感動はまだ二つも残っている。恐れおののきながら先を急ごう。熊倉山の難行苦行の原因は幾つかあるが、最大の原因は実は雨ではなく、はたまた、高度でも、私の軟弱体質でも、超軟弱気質でもなく、馬鹿な話、靴が合っていなかったからなのだ、と今では確信している。いつもは登頂を終えてひとしきり下ると、両足の小指が痛くなり始め、我慢しきれなくなるまでにはなんとかバス停や駅にたどり着いたのだが、熊倉山の下りは私にはハンパではなかった。小指だけではなく薬指まで痛み出し、十字架を背負ってゴルゴダの丘を登り、さびた釘で手足を十字架に打ち付けられたジーザス・クライストの苦境だったのだ。もっとも私は両足だけですんだのだが。それにしてもイタカッタ!山歩きの人達に聞いてみたところ、「足の痛くならない靴なんてありっこない」と、素っ気なく言われていたので、「我慢できない私がダメナノネ」と、こうべを垂れて信じ込んでいた。靴を買ったお店でそんな話をしたら、今度その靴を持って来いと言うのでそうしたところ、鉄の棒でできた大袈裟な道具を持ち出して来て、私の扁平足に合うようにグイグイと靴を広げるではないか。そんなことをしたら今度は爪先が当たって痛くなるに違いないと思いつつも、ほかにどうしようもない。もうどうなってもいいやという心境で黙って見ているのみだった。そのもうどうなってもいいやという靴を履いて、私は無謀にも今回の苗場山に挑戦したのだ。

 ところが下るに連れて私はルンルン気分になってしまった。痛くないと言ったら嘘になるが、あの突き刺すような痛さは無い。熊倉山の下りでは、錆びた釘を打ち込まれるような激痛が一歩毎に私を苦しめたのだが、気にしなければ気にならない程度の痛みでしかない。「これならエベレストだって行けるカモ?」と、思い上がったのには我ながら笑ってしまった。もっとも、長い下りのゴロタ石の区間では、前後、左右、斜め、とりどりに足首を取られて、過重な体重にようやく耐えている私の虚弱なくるぶしが、可動範囲の限界点までありとあらゆる方向へねじ曲げられ、その耐久テストが延々と続いたときは、「なんでこんな所を歩かなきゃならないんだ!」と、思わず口に出してしまったのだが、「歩く」という言葉が出て来たのはすごいことなのだ。いつもなら「苦行」という言葉にしかならなかたのだから。私はこみ上げて来る感動をじんわりと噛みしめながら、ルンルンと下って行った。

 さて、最後の感動を申し上げる。下山して湯沢駅まで戻った我々は、駅構内にある温泉で汗と疲れを落としてから飲み会となった。ジョッキが配られるのを見ながら、車の運転が控えていた私は蕎麦だの、おにぎりだのを頬張って耐えた。飲み会の中でシラフで耐えたことは、私にとって感動この上もないことだが、最後の感動というのはそんなことではない。小一時間も耐え抜いたのだが、気が狂って何をし出かすか分からなくなる前に、アタフタと、スゴスゴと退散し、早いところどこかにしけ込んで、狂う前に気狂い水を浴びてやろうと車に乗り込み、クンクンと鼻を鳴らしながら方角を決めて走り出した。(その後のことは冗長になるので割愛)それから何日か経って山荘に戻ったら、タイミング良く宅急便が届いた。ちょっと目にウイスキーの詰め合わせだろうと睨んでニンマリしたのだが、受け取ってみるとずいぶん軽いし、送り主がK原さんだったので驚いてしまった。内容物は衣類と書いてある。「いったい何だろう。さっぱり見当もつかない。もしかしたらアッタカーイ手編みのセーター?」。我ながらうぬぼれたものだと思うが、男なんて幾つになってもこんなモン。

 さて、もどかしく開けてみると出て来たのは見慣れた衣類。「アッ!俺のシャツだ!ズボンも!・・・アーーーッパンツも!」。きれいに洗濯されてきちんと折り畳まれているではないか。ベルトまで、丁寧に荷造りされた中にグルグル巻きになって鎮座ましましている。湯沢駅の温泉で着替えた汚れ物、ポケットの中の物を除く身に着けていたもの総て、汗だらけのそれらをビニール袋に入れて、飲めない飲み会を発狂寸前でアタフタと退散したときに置き忘れて来たのだ、ということがそのとき判然とした。と同時に恥ずかしさが顔面に吹き出してきて、耳と頬が焼け付くように暑くなった。たぶん真っ赤になっていたことだろう。アーア、パンツまでとは!私はアルチューハイマーで物忘れが激しく、さらに年々その激しさが増している。これはえも言われぬ底の知れない恐怖なのだが、その恐怖が津波のように襲って来るとともに、激しい自己嫌悪にもさいなまれ、地獄の奈落に追い落とされてギタギタになってしまった。…モーヤダ!

 しばらくして落ち着いてくると、今度は深い感謝の気持ちが沸いてきた。私の頭の中では、あの汚れ物の入ったビニール袋は、K原さんと共に新幹線で東京駅を経由し、K原さんのお宅まで旅をして、そしてK原さんの手で洗濯機に入れられ、洗濯され、取り出され、乾燥され、K原さんの手できちんと折り畳まれ、丁寧に荷造りされて、宅急便で発送された、というステップがありありと浮かんで来た。私だったら、他人が忘れた汚れ物の入ったビニール袋なんか、鼻をつまみながら取り上げてさっさとコンビニに持ち込み、そのままお店の人に荷造りをしてもらって送ったに違いない。あるいは始めっから捨ててしまったかだ。だのにK原さんはあそこまでしてくれて…。感謝!感激!

 この感謝の激情は心を暑くする感動を呼び起こすものではあるが、その強い感動はどうしても胸を締め付けるような自己嫌悪を呼び起こし、奈落のるつぼの中に私を落とし込めてしまう。そこから這い出るためには、あのステップを思い起こして感謝の気持ちの中に入り込む必要があるのだが、そうするとやがてまた感動の連鎖から自己嫌悪のるつぼの中に…。亜亜!私よりずっと若いK原さんに失礼を顧みず言うならば、K原さんはとても頼りになる母親、何でも言うことを聞いてくれる優しいオフクロ、だと思う。これは誰もがそう感じていることではないだろうか。このK原さんの風貌と人格を思うとき、ようやく私の自己嫌悪は癒され、そして、感謝と感動はさらに深まるのだった。

 さて、これでようやくにして感動の記録を書き終えることができた。これを書いていると苗場山に一緒に登った方々の顔がいろんな場面で浮かんで来た。ここに書いた以外にもいろんな感動があったのだが、それらの感動を私に与えてくれた方々、それらの場面を作ってくれた方々、ここにそれらの方々への感謝の気持ちを申し上げておきたい。そして、何の感動も与えることができなかった自分自身を省みて、深く恥じ入っていることを申し添え、お許しを乞うものである。大小の感動を時系列で綴って行けば、本来要求されているであろう山行記録の構成に近づくと思うのだが、駄文をこれ以上長くする愚は避けたい。四つの感動に絞り込んでみたが、どうも脈絡のない私的なものになってしまったようだ。単なる個人的感想文としてご了解願いたい。

 最後に、この駄文を長々とここまで読んでいただいた方がいるとしたら、その忍耐に感謝するとともに、その行為に大いに感動するものであります。

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