脱線ぶらり旅・・・二十六夜山
Y・シュガー 2002・9・1
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誰が言い出したのか全く!この暑いのに二十六夜山から菜畑山の稜線歩きをしょうと早朝の八王子に七人が集まった。さて乗車と言う時「あの山は暑い」と。当たり前だ。台風が過ぎ去り又暑さが戻って来たのだから。「今日は水が命と思って余分に持参して来た」と各自は言う。「暑いから来たく無かった」とも。尤も私もその一員だ。起きるまで迷い「時間に居なかったら不参加と思って」と答えておいたのに早い電車に飛び乗り来てしまった。これは何故だ! この時期低山は暑いに決まっているが、話し合い四方津駅下車で高柄山に登る事に決まった。高柄山は皆それぞれ登っているし持参の地図範囲だったので。駅から上野原よりのルートを取り、集落の中を歩き桂川の橋を渡った迄は良かったが、行けども行けども登山口らしき場所が現れず、又登山口を示す案内板の影も形も出てこない! 今日は防災の日、林道のあちらこちらで町の消防団とおぼしき人達に会う。何処へ行くのか? とその人達の視線を背で感じながら通り過ぎる。舗装の林道がいつの間にか砂利道となり草が生い茂って来たと思ったら、とうとう行く手に道が無くなってしまった!「おかしい。脇道は無かったよね?」等と仕方なく元の分岐まで戻ると、町?村?の人達が道端にシートを敷き防災訓練間のお茶の仕度をしていた。見上げる空はピリカン、もう既に時計の針は十時を回っていたのだった。「貴方達、何処から来たの?何処へ行くの?」とその人達からの矢継ぎ早の質問、不思議に映るのも当たり前だ。ザックを背負った集団がこんな時間ウロウロしているのだから。 登山口が判らず戻って来たと答えたら「まあまあ! この暑いのにご苦労様」と冷えたスイカを切って振舞ってくれるわ、煮豆を各自の掌に乗せるわ、漬物を楊枝に刺して配ってくれるわで、恐縮する程の大変な歓待!そこに長老が家より集落の地図を持って来て、林道上に広げ説明しだした。私達の地図と比べると、どうやら先で土砂崩れがあり入山道が無くなり現在は駅を背に左梁川方面に向うコースが使われているとの事だった。 時間も時間だし日も高く益々暑くなってきたので、今更引き返し再び高柄山なんてと諦めて歩きだしたが、まだ山行に未練ある数人は前方の山でも登ろうかとルートを聞いている!たわわに実る稲田の水路で手を洗い、お礼にと私達が用意した煮物を渡し、温く迎えてくれた人達と別れ上野原方向への林道を歩き始めた。時間もたっぷり有るし、そろそろ「昼食場」と探しながら細い脇道に入って行くとそこに小さな沢が!どんどん奥に入ると水量はさほどではないがまあまあ?の渓谷に行き当たった。 お昼はここでとザックを置き、背負ってきたメロンを流れない場所の水中に、冷凍してきた鯛と野菜の具沢山豪華この上ないお味噌汁での昼食となった。食後「こう言う所にカニが居るんだよ」と一人が半分程水の中に入っている石を、返すとそこには沢カニが!それからの皆の姿を想像あれ。 我が会ハイサワーベテラン諸氏達なら、このヌルヌルの「コケ石」上でゆとりのタップダンスでも踊って見せてくれるであろうに、自称若き山友達軍団は、足元をフラフラヨロヨロ時々水中に靴を滑らせ「孫に」とカニ取りに夢中になったのだった。雌のカニのお腹には赤ちゃんカニが一杯!掌に乗せるとお腹から赤ちゃんカニが四方八方へと走り出し、「何とこそばゆい!」もう皆、童心に戻り「孫に」どころかキヤーキヤーと、自分達が紛れも無く「孫に」なっていた。全く何も苦労が無い様だ。しかし私は知っているそれぞれに悩みを持っている事を・・・ ひと遊びが終わり冷えたメロンに舌づつみし、上野原駅手前の桂川を渡り下を覗けば、橋脚の長い影で草原が涼しそう。購入して来たアイスを食べながらザックを枕にこの下での昼寝と決め込む。川から吹いて来る風が心地よく、時の流れにしばし身を任せ家路へと。この日の東京の気温は32.3度だった。 |