「白い思い出」 谷川岳情景
                団塊オジサン編

 

 「白い想い出」 谷川岳情景    

02年12月8日

♪雪が降ってきた ほんの少しだけれど

私の胸の中に 積りそうな雪だった

幸せをなくした 暗い心の中に

冷たくさびしい 白い手がしのびよる♪

(「白い想い出」、作詞作曲=山崎 唯、1963年)

 

 今シーズンは少しは雪の積もった山を歩いてみたいと、「山の会」主催の谷川岳・天神平への雪上訓練に参加した。冬の谷川岳を訪れたのは20数年ぶり。当時はスキーブームがピークで天神平は11月下旬には滑降可能となる数少ない手近なゲレンデだった。スキーブームから10年近く遡ると、冒頭の曲がよく歌われた「第一次登山ブーム」の時代。新宿の「ともしび」に代表される「歌声喫茶」が一世を風靡し、「歌声は平和の力」のスローガンの下、「うたごえ運動」なるものも展開され、「雪山讃歌」「小さな日記」等々、山を題材にした曲も多く、第一次登山ブームと軌を一にしていた。

 当時は関西在住だったので、テレビを通じてしか知らないが、谷川岳山ろくのJR(当時は国鉄)土合駅では、上越線・新潟行きの夜行列車から吐き出された登山者の集団が、462段の駅構内階段を駆け上って行く光景を今も鮮明に覚えている。きっとそのころからだろう、谷川岳が「魔の山」と印象つけられたのは。現実にこの山域では約800人の犠牲者を出している。これに次ぐのが穂高で約600人という(遺体が発見されないだけで、実際の死者は穂高の方が多いという説もある)。アイガー・マッターホルンが400人程度ということなので、やはり「魔の山」なのだろう。

 翻ってみるに今は第2次登山ブーム。その主役は一の倉沢の岩稜を目指した若者ではなく中高年世代だ。天神平ロープウェー乗り場にも「中高年登山者の事故多し」と群馬県警の看板がデカデカと掲示されている。この種の警告を見るにつけ、「登山人口が多いのだから事故に遭遇する人間も多いのは当たり前」と違和感を感じるのはオジサンだけだろうか。もっとも彼らにしてみれば、やりたくもない遭難救助を減らすには、ターゲットを絞って遭難防止を訴えるのは当然だとも思うが。

 さて、事故を未然に避け雪山の魅力を知ろうというのが雪上訓練。H講師の指導のもとアイゼン・つぼ足歩行、滑落防止技術等、盛り沢山の教えを請うた。曇天だが無風とあって、行程も当初予定より足を伸ばし、熊沢避難小屋まで行くことができ、アイゼン歩行には大いに自信がついた。技術講習については、岩稜歩行にしろ、雪上訓練にしろ、私たち中高年にとっては技術の向上云々よりも、難易度の高いコースに抱く恐怖心を払拭してくれる精神的要素が大きいと思われる。現実にわずか1メートルの凍結斜面にたじろいで、登頂をあきらめたことを先シーズンには経験している。毎回参加して感じるが、H講師の教え方は単に技術のみならず、用具発展の歴史、素材の特性なども織り交ぜての指導で、頭の固くなった中高年にも分かりやすい。ついにオジサンも「ピッケルを持った中高年」の仲間入りをしてしまった。いささか戸惑いを覚える。

 表題の「白い想い出 谷川岳情景」に沿って過去をを振り返ってみると、天神平ゲレンデは、かつて色鮮やかなアノラック(この名詞も死語に近い)をまとったスキーヤーで埋まっていた。20年たった今のゲレンデはスノーボーダーがほとんどで、衣服もボードスーツと呼ぶらしい。同じフィールドで行うスポーツで用具がこれほど様変わりしたものも数少ないだろう。かつて多くの登山者が乗降したJR土合駅も今は無人駅で、1日数本の列車が停車するのみ。スポーツの世界ゆえ当然、はやり・すたりはあるが、たとえ時代やフィールドが変わっても、オジサンは自らの足を使って愚直に登り続けるしか方法がなさそうだ。

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