「安達太良からの手紙」

団塊オジサン

  前 略

 お変わりございませんか。弥生、三月は別れの季節。桃の節句を過ぎ彼岸のころにもなると、不思議なもので寒く長かった冬もいとおしく思えるものでございます。なにげなく旅行パンフを見ていると「雪の安達太良山」が目にとまりました。雪山の経験も知識も乏しいことは百も承知でしたが、この冬に刻んだ心の襞を見つめ直してみたい、そんな一心で矢も盾もたまらずに申し込んでしまいました。「私には春は来ない」、そんな心境が衝動的行動につながったのかもしれません。知人に教えを請いアイゼンや防寒具をそろえ、もちろん付け焼刃ですが何冊かのガイドブックに目を通し出発の日を待ちました。

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 雪に埋もれかけた案内板

 東京から3時間あまりのバスに揺られ、ようやく着いた安達太良山の奥岳登山口。「本当の空」かどうか分かりませんが青空でした。慣れないアイゼンをつけての雪道。一歩一歩がこのうえなく重く感じられ、歩きながらも頭の中は貴方のことが私の歩み以上の重さでのしかかっていました。1時間近く歩いたでしょうか。少し傾斜が緩やかになった勢至平を過ぎたあたりで風が一段と強まり、まるで私を飲み干してしまおうかという勢いにすら思えました。風に負けずに、いいえ、負けずになんて、そんな気持ちは今の私は微塵も持ち合わせていません。そのまま倒れ込んでしまってもいいような気持ちで歩き続けました。といっても貴方には信じてはいただけないでしょうが。

 幾分、風が収まると今度は静かに、そしてゆっくりと私の周囲を乳白色のガスが覆ってきました。踏み跡を頼りに歩を進める私に、先ほどの強く冷たい風ほどではありませんが確実に行く手を奪ってゆきます。疲れきった私には、どこへ向かって歩いているかすら分からない状態で、そのまま雪の上に座り込むと、だんだんと意識が薄らいでいくのが自分でも分かりました。どれくらい時間がたったのでしょうか。いえ、ほんの数分だったでしょう。朦朧とした意識の片隅に、「カーン、カーン」という鐘の音がしました。それはガスが出た時、登山者を導く「くろがね小屋」の鐘だったのです。その時です。私は、かつて貴方と二人して鳴らした「美しの塔」の鐘の音もはっきりと聞こえた、と思っています。渾身の力を込めて立ち上がった私は再び歩き始めました。数十メートルも歩くと今度は人の声がかすかに聞こえてくるではありませんか。「あぁ、小屋は近い。助かったんだ」と思うと、とめどもなく涙が出始めたのです。

 薪ストーブで暖められた小屋の中は春のようでした。心根の優しそうな小屋主さんに「悪天候の中をよく頑張りましたね」と労いの言葉と熱いお茶を頂くと、改めて生きる喜びをかみしめたものでございます。「くろがね小屋」は山小屋では珍しく3人も入ればいっぱいになる檜風呂の温泉があり、心身ともに疲れきった私を癒してくれました。心のこもった夕食を頂いたあと1,2時間ほど眠ったのでしょうか、階下からハーモニカの音色が流れてきました。小屋主さんが登山者のために奏でる山の歌であり恋の曲でした。地元女子高のワンゲル部の合宿でしょう。ハーモニカの演奏に合わせて歌っている「春のうららの隅田川・・・」のコーラスがとても清楚に聞こえ、私もひとりでに口ずさんでいたようです。ゴーゴーと音を立てていた風もいつしかやんだようで、戸外に出てみると満天の星空で、明日の晴天を約束してくれているようです。

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左の突起が安達太良山(通称、乳首山)の山頂、

 翌朝、抜けるような青空の下、遅々とした歩みで山頂を目指しました。日の光やら木々の芽には、私には来ないと思っていた春の息吹が感じられました。冬の安達太良は映画「八甲田山」のロケ地にもなったほどの風が強いところ、こんな好天は初めてとは地元のガイドさんのお話でしたが、これも貴方のお陰でしょうか。峰の辻を過ぎ牛の背を抜け、ようやくたどり着いた山頂。すぐ近くには雪を抱いた磐梯山、彼方には飯豊連峰、蔵王など東北の山群をくっきりと見ることができました。山頂に居るみんなが、いつの日か登ってみたいと思ったことでしょう。でも、私一人では無理ですわね。

 天候が悪くならないうちにと早めに山頂を辞しましたが、5−6メートルはあるという深雪の真っ白な雪原に思い切り足跡を残して下りました。何度も雪に足を取られ転びましたが、その時の私は少女のようにはしゃいだ気がいたします。私にも春が近くまで来ているのかな、とさえ思えたものでした。何でも、みちのくは桜やコブシの花が一斉に咲き始め、一気に春が訪れるのだという話を聞いたことがあります。そんな春を探しにまた旅に出たいものです。そうしたら、福島・三春町あたりの滝桜の木陰から突然、「ヨッ、元気でやってるか」と、貴方が姿を現しそうな気が致します。

 取り止めのないことばかりを、長々と書き連ねてしまいました。相変わらずわがままで、こらえ性のない性格は直っていないと思われても仕方ありませんわね。三寒四温の季節ゆえ、御身ご大切にしてください。 

                                 かしこ

   平成15年3月22日                   

 「筆者からお断り」 いつも同じパターンの山行記では面白みにかけるので、「女性からの書簡」風に綴りました。従って筆者が3月21−22日に雪の安達太良山に登頂したという事実以外は、すべてフィクションで、「参考にならない山行記」です。

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