火渡りの儀で身を清め越後・機巻山へ
03年8月2夜〜3日 団塊オジサン
「深田百名山」で美しい山名と形容した「巻機山(まきはたやま)」(魚沼山塊)と「雨飾山」(頚城山塊)。いずれも豪雪地帯にあり雪渓が遅くまでが残り、高山植物、紅葉が美しいという。標高も巻機山が1967M、雨飾山は1963Mで、地元には「機織姫」と「雨乞い」の民話がそれぞれ伝わる。また、巻機山のある塩沢町・清水の集落は上越を結ぶ旧清水峠の宿場町として栄え、雨飾山は麓を「塩の道・千国街道」が通じ、古くからの交通の要衝という共通点もある。関東地方にも8月に入ってようやく梅雨明け宣言が出されたのを機に、今回は巻機山に単独登頂した。
初日は上越線を乗り継いでJR六日町駅へ。そこから1日3便しかないバスで、ブランド米「魚沼産コシヒカリ」の水田を車窓から眺め30分で巻機山の麓にある清水の集落に到着した。予約の宿舎は民宿とはいえ立派な造作で天井が高く、梁・柱は雪の重みに耐えられるよう太いケヤキ材が用いられており、さながら高級老舗旅館の風情すら漂う建物。聞けば27代続く農家だといい、鈴木牧之(塩沢町の出身)の名著「北越雪譜」に描写されている越後の豪雪に耐え、約700年もの間、家系を守り続けられているご家族に敬意を表したい気持ちになった。夕食は鮎の塩焼はじめ山菜など11品の料理が供され食べきれないほど。もちろんご飯はコシヒカリ。さらに、今日は村の氏神さま「巻機大権現」の例大祭とのことで、地酒「巻機山」が宿泊客に振る舞われた。周囲を見渡すと他の客は普通のグラスだが、どういう訳か私にだけはジョッキに地酒がなみなみと注がれ、大女将が「遠慮せず呑んで下さい」と勧められた。ジョッキで冷や酒なんて若いころもやった経験はなく、なんとか2杯は呑み干せたが、さすがに3杯目は明日のこともあるので遠慮申し上げた。 夕食後は千鳥足気味で、民宿にほど近い巻機大権現での真夏の夜の炎の祭典、「火渡りの儀」を見学した。日中に巻機山を登拝したという山伏のいでたちをした修験者たちが、古式にのっとり呪文(経文)を唱え、お祓いをし、神社境内中央の薪に火を放ち、火勢が弱まったところで火床を裸足で渡るという儀式。修験者たちが渡り終えた後に氏子が渡るのだが、私も明日の安全登山を祈願して酔いに任せて火床を渡りきった。もちろん初めての体験。都会の縁日や夏祭りなら夜店がつきものだが、片田舎での祭礼行事とあって観光客もいない、地元民と登山者だけの儀式で、かえって素朴で厳粛な雰囲気を醸し出していた。
翌朝は午前5時に民宿を出発。久々に雨の心配が不要な山行である。巻機山は割引沢かヌクビ沢を登り、井戸尾根を下るというのがポピュラーなコースらしいが、例年、秋口までは沢筋に雪渓が残り沢コースは危険という民宿の方のアドバイスもあり井戸尾根往復のコースとした。前夜の深酒でいささか二日酔い気味だが、頂上まで休憩抜きで歩いてやろうという気力だけはあった。梅雨が明けて初めての日曜日で入山者は結構多い。井戸の壁を越え、5合目の焼松で右方向に米子沢を遠望、ヌクビ沢を望む6合目展望台で小休止し朝食。なるほど、ヌクビ沢には雪渓がたっぷり残っており、踏み抜き、落石の危険がいっぱいという印象。割引岳直下の天狗岩は名前のごとく峻険な大岩で、熟達したクライマーでないと登頂できないという世界。井戸尾根を通過しガレた道を登り切ると前巻機(ニセ巻機)の稜線に出る。ここまで来ると若干のアップダウンはあるが、ほぼ平坦なコース。規模こそ小さいが池塘(ちとう)も現れる。
頂上でたっぷりと休憩を取ったのち、あとは登りと同一コースを淡々と下るだけ。さはさりながら真夏の太陽が照りつける山道を、1300Mを超す標高差を往復するのだから、後半はかなり疲れも出てきた。下山口の桜坂駐車場から30分の林道歩きはヒッチハイク。正午過ぎに民宿に到着し預けた荷物を受け取った。すると民宿の若女将が、キンと冷えた西瓜を「お疲れさま」と出してくださり、おいしく頂いた。やはり、ビジネスライクな旅館やホテルと違って民宿の心のこもった気遣いは山旅の疲れを一気に吹き飛ばしてくれる。思わず「紅葉の季節には、またこちらを利用させていただきます」と丁重に礼を伝え、越後路を抜けるローカルバスに乗車した。 <コースタイム>(休憩含む) 8月3日(快晴)=塩沢町・清水民宿0500―桜坂登山口0510−焼松(5合目)0600−6合目展望台0630(朝食)―前(ニセ)巻機0810−御機屋0835−巻機山頂上0850(休憩)0915−避難小屋0955−6合目展望台1055−桜坂登山口1210−清水民宿1230 |