栄華はいずこ、崩れゆく伯耆大山に登る

 

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弥山から剣が峰、三鈷峰にかけての稜線、崩壊で縦走は禁止=10月25日午後

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拝 啓

秋色が日ごと深まり、東北地方や北アルプスの山々では初雪や初冠雪の便りが届く時節となりました。お変わりございませんか。寒い気候が苦手な私は10月の山旅に鳥取県の伯耆大山(ほうきだいせん=1708M)を選びました。天候に恵まれたお陰で中腹の燃えるような紅葉、山頂近くは緑濃いダイセンキャラボク、日本海に浮かぶ美しい弓ケ浜の海岸、と思い出深い山旅を綴ることができました。

死んでも貴方と 暮らしていたいと

今日まで努めた この私だけど

二人で育てた  小鳥を逃がし

二人で描いた  この絵燃やしましょう

「手紙」(歌唱由紀さおり、作詞なかにし礼、作曲川口真) 
  覚えていらっしゃいますか。伯耆大山といえば、まだ学生時代だったころ、学年末試験を終えJR京都駅から山陰本線の夜汽車に揺られスキーに来たことがありましたね。雲一つない青空の下、日本海を眼下に眺めながら滑り降りるゲレンデは爽快で楽しかったことを、今もはっきりと覚えています。その時お世話になった宿坊も建て替えられてはいましたが、同じ場所にありました。この歌詞は、そのころヒットした曲でしたね。でもゲレンデで貴方と何を語り合い、どんなことを約束したのかは、春の淡雪のように記憶の彼方に消え去ってしまい幾星霜が過ぎた今、私ひとりで大山を訪れています。

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元谷登山道に通じる大山寺参道、紅葉前線は麓まで下りてきている


  最寄り駅のJR大山口駅は水田を隔てた向こうが日本海で標高は0M。そこから山ろくをバスに揺られ大山寺到着が正午過ぎで、飛行機が遅れたこともあり予定より往路1時間30分のロスでした。まず石畳の大山寺参道沿いにある旅館「弥山荘」に寄り荷物を預け身軽にして、大神山神社奥宮でお参りを済ませ、すぐ裏手にある元谷登山道から登り始めました。大山は
2000年の鳥取県西部地震で崩壊が著しく進み、元谷登山道も最近再開されたばかりとのことです。
 山腹は西日本一のブナの自然林で登るにつれ、緑色から黄葉・紅葉に変わってゆくのが分かります。
1時間ばかり歩いて堰堤がある行者谷にくると、大山北壁から三鈷峰にかけての荒々しい山容と痛々しい崩壊の様子が目の当たりにできました。夏山登山道と合わせる行者分かれからすぐの6合目避難小屋で小休止。ベンチがあるちょっとした展望台で、山ろくののどかな田園風景、その向こうには日本海や島根県の中海、弓ケ浜を遠望できました。さすがに隠岐島までは霞んで見えませんでしたが、「かつて貴方と二人で眺めた日本海・・・」と、しばし感慨にふけったものです。

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5合目の行者分かれ付近のぶな林の紅葉

 6合目からの急登にあえぎ8合目までくると、植生保護のための木道が山頂の弥山(みせん)まで続きます。大山の最高峰は剣が峰(1729M)ですが、崩落が激しいため数年前から縦走路は通行禁止とのことです。稜線上は海風が強く山頂避難小屋で名物の「大山おこわ弁当」をいただきました。避難小屋といっても、管理人常駐で水洗トイレがあり60人が泊まれる立派なものです。ここから眺める夕日が絶景なのですが、それを待つと暗くなるので早めに山頂を辞しました。
 頂上直下にある特別天然記念物、ダイセンキャラボク(大山伽羅木)の緑濃い純林を縫うように造られた木道を経て夏山登山道を下りました。蛇かごと階段がほとんど入山口近くまで続き、崩壊防止と植生保護のために膨大な人手と費用が注ぎ込まれている山だと改めて認識させられ、登山靴が自然を痛めつけている要因の一つとも思わせるものでした。

 日が落ちる前に麓近くまでたどりつくと、大山寺の由緒ある建造物をそこかしこで見ることができました。夕暮れの深山幽谷にたたずむ重要文化財の阿弥陀堂は往時をしのばせる荘厳さで、なんでも栄華のみぎりには3000人の僧兵を擁したそうです。そういえば、この山域を歩いていて、なにかしら比叡山・延暦寺の境内に似ているなと感じたものですが、宿泊した旅館のご主人によると、やはり大山寺は延暦寺の「別格大本山」ということでした。京都と伯耆の国、遠く離れてはいても山の霊気は伝わるものなのでしょうか。

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頂上直下に分布する特別天然記念物、ダイセンキャラボクの純林

 夕食に地酒と郷土料理をおいしく頂き、翌日の帰路は鳥取市の砂丘に立ち寄りました。日曜日ゆえ山と違って若いカップルたちが砂丘に腰を降ろし、浜辺に打ち寄せる日本海の波頭を眺めている姿を多数見受けました。鳥取砂丘といえば「風紋」が有名ですが、風紋は一晩で形を変えてしまいます。大山は痛々しい崩壊が日々進行しているという話です。形あるものは、いずれ崩れゆくものなのでしょうか。人の心は移ろいゆくものなのでしょうか。始めに引用した「手紙」の歌詞には後半部分がありましたね。

     なにが悪いのか 今もわからない

     誰のせいなのか 今もわからない

     涙で綴り終えた お別れの手紙

          

    かしこ

20031026日 鳥取砂丘にて

<コースタイム(休憩含む)>

 1025日(快晴)=羽田AP0710−鳥取AP(リムジンバス)−JR倉吉駅−大山口駅(バス)1150−大山寺1225−大神山神社奥宮登山口1245−6合目避難小屋1400−1445弥山山頂1525−6合目避難小屋1610−夏道登山口1710−弥山荘1725(泊)

 26日(快晴)=弥山荘0840−大山寺BT0920−JR大山口1002−1200鳥取駅1300−1325鳥取砂丘1445−鳥取駅1530−鳥取空港1630−羽田AP1750

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