1300年の修験道
大峯奥駆けを行く
04年5月1−3日 団塊オジサン 昨年5月に大台ケ原を登頂した際、山頂からの大峯山系を仰ぎ見て次のゴールデンウイークは大峯奥駈け道を歩こうと決めていた。奥駈け道は1300年前に役小角(えんのおづぬ=役行者)が開いた修験道で、和歌山県・那智山から千本桜で名高い奈良県吉野町の吉野山まで総延長は約150キロ、西行法師も2度歩いたという。 コース内に今も女人禁制を守り続ける山上ケ岳のほか、金峰山寺、表・裏行場などを擁し、白装束に金剛杖、法螺を携えた修験者が「六根清浄、懺悔(ざんげ)懺悔」と唱えながら往来するという。大峯山、熊野古道は今年6月に北海道・知床半島とともにユネスコ世界自然遺産に登録される運びとのこと。全コース踏破は1週間以上を要し難しいので、奥駈け道核心部といわれる上北山村・前鬼から釈迦ケ岳(1800M)、孔雀岳(1779M)、八経ケ岳(1915M)へ登り、弥山、頂仙岳を経て天川村・川合に下る行程を2泊3日かけて歩いた。 <第1日=晴、歩行時間30分>
夜行バス、近鉄(あえて「ちかてつ」と読む輩がいるらしい)などを乗り継ぎ入山口の前鬼口到着が1日正午過ぎ。ここから2時間半の林道はタクシーでショートカットし、30分の歩行で1日目の宿泊地、小仲坊(宿坊)に着いた。役小角が奥駈け修行した際には前鬼、後鬼と呼ぶ2匹の鬼が随行し、その末裔がこの前鬼の地に修験者の世話をする宿坊を営んだという。今も唯一残るのが小仲坊で境内にはミヤマキリシマが真っ赤に咲き誇っていた。小仲坊の当主は「五鬼助」という姓で61代目、代々1300年続く家系で、天皇家を別にすれば日本では2番目に古い家系という。 「五鬼助」姓は明治期に苗字をつける際、「後鬼助」より「五鬼助」の方が座りがよく、宿坊も当時は5軒あったことが背景という。京都で古い家系といえば藤原俊成・定家を祖とする歴代800年の冷泉家だが、こうみると、京都は「伝統・格式の世界」、奈良は「神秘の世界」という気がする。それに引き換え近代登山はたかだか100年の歴史、山に対して謙虚であらねばと思う。歴史の薀蓄はさておき、予定より早く到着したので宿坊周辺を散策、風呂後に宿坊の縁側に腰掛け夕涼みがてら地酒で一杯。夕食は奈良特産の吉野葛や高野豆腐を食し、同宿の若者や修験者、ハンガリーから来た青年とも交流が持てた。耳に優しい関西訛りで話題も弾み、毎度のことながら呑み過ぎ。 <第2日=曇りのち雨、ガス。歩行時間8時間25分>
1時間の寝坊。目的地の弥山まで標高差1100M、10時間の行程とあって大急ぎで朝食をとりアルコールのにおいをプンプンさせながら歩き出す。樹林帯の中を2時間30分かけ太古の辻から奥駈け道に入る。太古の辻が奥駈け道の南部と北部の分岐点で北に行くのを順峰、南に下るのを逆峰というらしい。雨足が強くなり始め、深仙の宿跡で雨具を羽織り、遅々とした歩みで今日の最初のピーク、釈迦ケ岳(日本二百名山)に到着。山頂には2メートルくらいの釈迦如来像が祭られている。なんでも大正年間に「鬼政」という強力が3体に分け1人で道を開きながら担ぎ上げたとのいわれだ。 釈迦ケ岳を過ぎると修験道らしくクサリ場や岩壁のトラバースなど厳しい箇所も現れる。さらに、このあたりは迷平という名称で、国内でも有数の道迷い遭難が多いらしく、深い樹林帯で山道は苔むしており、ガスってテープを見逃せば間違いなくルートを外れる。慎重に歩いたつもりだが多分4、5回はコースを間違え後戻りした。また倒木が多く残雪もあり、孔雀岳、仏生ケ岳を越えて楊子ケ宿まで行くのにコースタイムの2倍を要し、到着は14時を回っていた。予定より2時間の遅れ。 経ケ岳方面から下ってきた人と情報交換すると、頂上付近はガスが濃く3時間の歩行では目的地の弥山までは厳しいという。修験者からはきっぱりと「暗くなるから今からじゃ弥山までは無理」との忠告。思案投げ首、単独でもあり初めてのコースとあって時間は早いが楊子ケ宿避難小屋で1泊とする。昨年秋に新築された小屋は2階建てのログハウス風の立派な造作で水場もあり、最終的には修験者も交え12人が世話になった。予定外の避難小屋泊まりのため酒の手持ちが1本しかないのがつらかった。 <第3日=曇りのち快晴。歩行時間8時間20分>
またもや寝坊だが体調は万全。食事を作るのが面倒でスープ1杯を飲み6時25分出発。明け方のガスも気温上昇とともに晴れ青空も見え始める。明星ケ岳を経て近畿最高峰の八経ケ岳に9時過ぎに着き小休止。深田百名山の一つとあって登頂者も多い。天然記念物のオオヤマレンゲの群生地だが開花期はまだ先。北東方向に台高山脈の稜線を眺めながら、いったん下り弥山へ登り返す。弥山は200人収容の営業小屋があり、皇太子ご夫妻も宿泊されたという。 ここで大峯奥駈け道から離れ、あとは4時間余りのコースを下るのみ。いささか空腹気味だが、途中の栃尾辻での休憩時に九州から来た女性にお饅頭を頂き、15時前に無事、天川村川合に下山できた。単独での山中2泊は初めて。自販機で仕入れた缶ビールを飲みながらバス停へ向かって歩いていると、奈良交通のバス運転手さんが「近鉄下市口駅行きですけど乗らはりますかぁ」と声をかけてくれた。やはり、関西言葉は「えぇなぁ」と思いつつバスに乗り込む。近鉄駅前の吉野温泉(老人福祉センター)で身ぎれいにし、法隆寺近くに居を構える友人宅に一宿の世話になった。 倭(やまと)は国のまほろば たたなづく 青垣隠(こも)れる 倭しうるはし (倭建命) 翌日は友人夫妻と車で奈良市内の西大寺、伎芸天像で有名な秋篠寺などを、のんびりと散策。GWとはいえ京都ほど観光客は多くなく、小雨に映える新緑の大和路を楽しめた。奈良の老舗「平宗」で「柿の葉すし」「三輪そうめん」を味わい、友人夫妻と別れ奈良を後にした。近鉄からJRに乗り換える名古屋では駅前の赤ちょうちんで「味噌カツ」「海老フリャー」で一杯、ほろ酔い気分で新幹線に。「やっぱり関西はえぇなぁ、はよ帰ろ」とまどろみながら帰京した。 <コースタイム(休憩含む)> 5月1日=近鉄橿原神宮0855(バス)−湯盛温泉杉の湯乗り換え−前鬼口BS1210(タクシー)−前鬼林道ゲート1240−1310前鬼・小仲坊(泊) 2日=小仲坊0540−0810太古の辻−深仙の宿−1000釈迦ケ岳−1220孔雀岳−仏生ケ岳−1415楊子ケ宿避難小屋(泊) 3日=避難小屋0625−明星ケ岳0845−0915八経ケ岳−0945 弥山小屋1005−1050狼平1115−1250栃尾辻1310−天川川合BS1445(バス)−1600近鉄下市口駅
|