パステルカラーの夕映えに包まれた塩見岳=三伏峠、2006年12月31日酔った勢いの恐ろしさ…酔った勢いというのは恐ろしい。「今年の年末は、おこたでミカンを食べながら…」などと話していたのが、標高2600bのテントの中で過ごすことになってしまうのだから…。そう、それは忘れもしない景信山での望年山行の帰り。いつものようにJR新秋津駅前のサラリーマンで、反省会に盛り上がっていたときのことだ。冨永くんが仕事の後で合流し、年末年始にどこか山に行きたいという。「ホープ会員の希望に応えることができないとなれば、当会の名折れである」と、考えた酔っぱらいおやじは、「よし塩見に行こう」と思わず口走ったのであった。 【30日】快晴 定宿はステーションホテルとみくんの仕事が早めに終わったので、最終一本手前の「スーパーあずさ」で新宿駅を発つことができた。が、岡谷駅で飯田線に乗り換えるため、がらんとした駅舎でたっぷり待ち合わせ、伊那大島駅に着いたのは結局10時半になった。さっそく、定宿にしているステーションホテル(ホームの待合小屋)にチェックインして、明日に備えて早めに就寝した。【31日】快晴 風呂セットがお迎えの担保朝6時前、予約しておいたタクシーに乗り込んだ。珍しく女性ドライバーだった。ジャンボタクシーなのでゆったりだ。前年の聖岳のときもそうだったが、雪道はワンボックスの4WDの方が強いそうだ。「降車地点は雪しだい」という約束でドキドキものだったが、奥に入っても積雪が少ないこともあって、樺沢小屋の先まで入ることができた。着替えなどの風呂セットと缶酎ハイを入れた袋を女性ドライバーに預け、2日の正午に同じところに迎えに来てくれるよう頼んだ。予約を担保できてうれしいのか、女性ドライバーは、機嫌よく了解してくれた。登山口の塩川小屋までは、林道を一時間弱歩く。塩川小屋は、冬季は年末年始に限って営業しているとガイドブックにはあるが、女性ドライバーによると小屋番は高齢で廃業したとのことで、寂しくたたずんでいた。登山届けを入れるポストには、しっかり錠がかけられていたので、安心して届けを出すことができた。山でも個人情報の保護に無関心ではいられなくなってきたということか。 敗退者ぞくぞくここからは、沢沿いの道をしばらく進むが、橋もしっかり架かっており問題なし。いよいよ、急登への取り付きである。ヒーハーいいながらゆっくり進む。ところどころに滑落防止用のネットやロープが設置されている。さすがに、高度を増すと積雪も多くなった。しばらくして下山してきた単独の男性とすれ違った。疲れ切ったようすで「腰まであるラッセルに疲れ、本谷山手前で敗退しましたよ」とのこと。縦走組が一組いたので、トレースはあるかもという。爆弾低気圧の影響で、山上ではドカ雪が降ったらしい。次に下りてきた3人パーティーにも念のために聞いてみたが、やっぱり敗退とのこと。本谷山までは行ったというから単独男性よりは先に進んだようだ。登れるか…。不安は募るが、行くしかない。さらに標高を上げると、綿のようにふっくらした雪に、あたりは包まれた。いくら南アであっても3000bは別世界なのだ。樹林のすき間から、山並みが見え始めると、急登もそろそろ終わりに近づく。が、体のほうも、もう限界だときしみ始めている。やっと、鳥倉林道との分岐だ。夏場はバスが登山口まで入るようになって活況を呈しているようだが、冬場は雪崩の危険から使わないはずだが、わずかにトレースがある。 ここから三伏峠まで500bと表示がある。しかし、しかし、ここからが長いのだ。「まだなの〜」と何度いったことか!
三伏峠から見る初日の出前の空=2007年1月1日きょうはここまで三伏峠小屋は、半分以上雪に埋もれていた。樹林も雪帽子をかぶって、枝が重くたわんでいる。とみ君も雪の多さに、不安を持ったのか「もっと先に行こう」という。私の持病?の高山病が出始め、気力がなえかけていたのと、この積雪で果たして幕営できるところがあるのか、あったとしても相当先になるのではと悩んだ末、三伏峠小屋前にとどまり幕営を決断した。その代わり、予定より早立ちとした。すでに、10張ぐらいの先客でにぎわっていた。雪に縁取られた樹林越しに見える夕映えの塩見岳は、パステルカラーで描かれた絵画のように淡く美しい。暮れ色に染まり始めた空には、早くも銀色の月がぽっかり浮かんでいる。体調も戻ってきた。「明日は、きっと登れる」。気力とともに確信がわいてきた。 【1日】快晴、無風 12時間を覚悟翌元日は、暗いうちにヘッドランプを頼りにスタートした。それほど、寒さは感じない。昨晩、隣のテントの住人は、真っ暗の中、ヘッデンを灯して六時半に戻ってきた。聞くと、トレースはあるとのこと。自分たちは朝六時半頃出たので、もっと早く出た方がいいとのアドバイスを受けた。12時間歩くことを覚悟した一瞬でもあった。それなので、我がパーティーは5時20分にスタートした。聞いた通り、しっかりしたトレースがあった。おかげで、順調に距離をかせぐことができた。雪の重さでたわんだ枝をくぐりながらしばらく進むと、快適な尾根歩きである。本谷山の登りに入ると、傾斜はきつくなる。その途中、休憩がてら雲海から登る2007年の初日の出を拝んだ。富士山のシルエットが美しい。陽光が雪に乱反射し、雪化粧した木々はピンクに、そしてオレンジに染まる。これも一瞬のことで、さっきまでの微妙なグラデーションの移ろいは終わり、陰陽がはっきりした世界に一変する。夜が明けたのだ。このあっけなさには、いつも物足りなさを感じてしまう。雪はたっぷりあるので、権右衛門山は巻かずに尾根通し。傾斜はそれほどでもないが、夏道にはないアップダウンが加わるので、当然時間も余計にかかることになる。
塩見岳がだいぶ近づいてきた=2007年1月1日老夫婦がガイド登山?数パーティーと抜きつ抜かれつしながら進んだ。塩見小屋は、すっぽり雪に埋もれている。休憩していると、男三人組から、とみくんが声をかけられた。我々三人組の関係が気になるらしい。「親子ならうらやましい」「ガイドが老夫婦をつれているのかと思った」と、いろんなことをいわれたらしい。無礼なコメントに少しは反省したのか、下山路では「名のある山岳会でしょ」などと歯の浮くようなお世辞をいってくれた。会名を告げると、「聞いたことあるよ」と一人が声を大きくしていう。仲間も「ある、ある」と応じる。「ちょっとちょっと、ほんまかいな」と思いつつ、そう悪い気はしない。彼らは還暦を過ぎたという。確かに全員が年季もののウッドシャフトのピッケルを手に提げている。塩見の直下では、ちょっと危なっかしいところも見せたが、なかなかの健脚で「若い頃は相当やっていたのだろう」という想像に難くない。その名も「山を楽しむ会」だという。高齢化で「風前の灯火です」といい、とみくんの若さをうらやんだ。 鳥越し苦労実は塩見小屋の前では、ハーネスを装着するかどうか、かなり迷った。なぜなら、迫力ある天狗岩の前だし、ハーネスにヘルメットというパーティーもいたからだ。7年前の同時期に山ちゃんと登ったときには、ハーネスは装備しなかったが、下りはけっこう緊張した記憶がある。だから、どうするかは最後まで迷った。結局、雪のつき具合や天候が安定していること、何よりとみくんの歩きっぷりを見て使う場面はないだろうと判断し、装着せずに登ることにした。ただ、終わってみれば、鳥越し苦労だったのだが。補助ロープだけは、すぐ出せるようにはした。
頂上直下の登り。下りは注意が必要=2007年1月1日あとは、ただひたすら歩くだけ。登ったばかりの塩見が遠くなっても、まだ先は長いのだ。とにかく暗くなる前にテントに着きたいという一念で頑張って歩いた。そのかいあって、まだ陽が沈みきる前の、16時40分にテン場に到着、握手を交わし、テントの中で祝杯をあげ喜びをかみしめることができた。 【2日】 予定通り、ゆっくり目に出発したが、それでもタクシーが迎えにきてくれる地点には、予定より1時間も早く着いた。そのご褒美なのか、タクシーも30分早く迎えにきてくれて、大助かり。預けておいた缶酎ハイをグイ!よく冷えていてうま〜い。7年前と同じ清流苑に直行してもらい、年越しの汗を流し、高速バスで帰京した。ちなみに清流苑は、サウナ、露天、大浴場もありで、入館料400円。おすすめです。松川インターそば、食堂もあり。 <コースタイム>
雪の下に埋まる塩見小屋=2007年1月1日
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